本と文房具

2月8日販売開始の「くまかんのみかんジュース」のお知らせです。詳しくは【くまかん販売(くまはん)】をご覧ください。

(1)くまかんのせんろジュース 1本800円  6本4500円 売り切れ
(2)くまかんのトロッコジュース 1本800円  6本4500円 残り僅少
(3)上記3本ずつ詰め合わせ 6本4400円 売り切れ
                             【2月10日午前現在】

※ せんろジュースは売り切れましたが、ご希望があれば追加販売を行いますので、お問い合わせください。特にご希望される方がいらっしゃらないようでしたらこのまま本年の販売を終了致します。尚、原材料みかんの都合(?)により、追加の希望は2月20日頃までの受付とします。どうぞよろしくお願いします。【22・02・10追記】



デジカメの電池切れで今日は文字だけになります。

どんよりとした曇り空の朝・・・洗濯をし乍らう〜んと唸っているうちに雨が落ちてきました。唸る前に仕事に出掛ければよかったと少し後悔して近所をぐるぐる回る仕事に出掛けます。午後はどうしようかな?とお昼を食べ乍ら考えていると足元にぷーにゃんが寄ってきます。ネコはお昼食べなくてもいいんだよ?とは言ってみるものの机に上がりキーボードを叩くので・・・仕方ない、ちょっとだけだよ?とエサを・・・あれ無いみたい?あは☆ ぷーにゃんのエサ無いよ☆ まぁ水でも飲んでてよ? と、そんなわけで午後から買物へ行くことにしました。

田舎に住んで一番不便だと思うこと・・・本屋がありません。いや本屋はあるのですがマンガ&雑誌&ゲームが主で小さく「本もあります」とゆうような本屋ばかりで不便とゆうよりも困っていると言いたくなります。「インターネットでも買えるよ?」と教えてはもらうのですが、特に今すぐ欲しい本があるわけではなくて・・・欲しくなるような本を本屋に探しにゆく・・・と言った方がいいでしょうか。何も中身だけではなくて実際に手にとって、その本の重さや手触り大きさ、頁を捲った感触、紙の材質、本の香り(特に古本)・・・そんなことを愉しみ乍ら気に入った本を買いたいのですが、本屋で取り寄せたりインターネットで買ってしまったら・・・ただ必要だから読むためだけの本を購入するだけであって、本の愉しみの約半分が失われてしまいそうな気がします。今のところ・・・パソコンが便利にはなってきてはいるものの、未だに香りや味・・・そしてモノの質感までを伝えるには至っていません。本を読み愉しむとゆうのは単に印刷された活字を目で追うとゆうことではないのです。手に取った本をぺらぺらめくって・・・頁を捲る面白さもあれば、その頁の上か下に書かれている頁数の数字の面白さ、作者の改行や句読点の癖、漢字の使い方とか・・・縦書きが多いから本文に出てくる数字は漢数字になるものの・・・例えば「ネコ」をネコと書くか猫と書くか、或いは私のように「ぷーにゃん」とか書くか?更に興味を大きくしてゆけばプロローグまで読んでみたり、表紙カバーを外してみたり・・・いやそんなことをしてはいけないのかも知れませんが「ド●ター秩父山(マンガ)」の単行本でショックを受けて以来、ほぼ間違いなく表紙カバーを外して中を確認するようになりました☆ そんなことを本屋で立ち読みし乍ら愉しんでいると、あっとゆう間に1日が過ぎてゆきます(あれ?)。

東京へ1年に1回程度は帰りますが・・・その際に最低でも半日、時間が許せば丸1日は本屋をはしごします。とは言いましてもたったの1日しかないので方々の本屋のはしごは出来ずに、ここ数年は神保町近辺になっていますが。神保町のいいところは新書の本屋と古書店が混在していて短い時間で両方を愉しめます。そのうえマンガ専門店もあれば、エ■本専門店もありますし・・・御茶ノ水とゆう場所柄、飲食店もそれなりにあって、少し遅いモーニングから昼食を食べて・・・などと、いったい東京へ行って何をやりに行ってるんだか?ですね☆ 最後に「地●共販」へ行って地形図をはぁはぁ言い乍ら・・・数枚購入して、さんざん歩いてどっしりと本を買ってしまったりします(ついでに秋葉原に寄ったりして☆イロイロね)。雑誌とかマンガとかエ■本などもついでに購入しますが、ついでであることが多いような気がします。更に時間があれば国会図書館とか九段の国土地理院などにも寄りたいのですが、ここ数年はすっかりご無沙汰しています。更に更に・・・などとやっていると、東京は何日いても足らないくらいになるのですが・・・インターネットは確かに便利で、わざわざ国土地理院に出向かなくても地形図は閲覧出来るのですが、別に簡略化したいわけでもなくて地形図を閲覧したいとゆう大義名分を持ってそうゆう場所に行ってみたいとゆう願望(?)とか?何冊もの重い本を背負って何軒もの書店をはしごして汗をかきかき・・・そんなことをしていると、本を読んでいるときにその時のことを思い出したり、地形図を持って山を歩いているときに突然、靖国通りの光景を思い出したり・・・必要が無いと言えば不必要ですし、無駄と言えば・・・言わなくてもただの無駄ですね☆

図書館も・・・熊野市に新しい図書館が出来たようですが、まだ行ってません・・・図書館もいいのですが、過去の判例として売れた本とか有名人の書いた本はまず間違いなく必ずあるけれど・・・必ずしも私が興味を示す本が置かれていないことが多いのです。こっちに来てから最初のうちは紀和・鵜殿・木本・新宮などの図書館も行きましたが・・・う〜んう〜んと唸るばかりで、暫く行ってませんね。ただ特に今は調べたいことが無いので新しく出来た図書館へはまだ行かないことでしょう・・・偏見とゆうか勝手な解釈なのですが、本屋は愉しみに行って、図書館へは勉強を・・・そんなイメージを抱いていますから、私のような落ち着きの無い者がただ本を選び読み(借り)に行くだけでは迷惑になるでしょうから・・・まだまだ暫く先のことになりそうですね。逆に国会図書館などに行くと・・・ふむふむほむほむと唸る蔵書が多いので黙っているだけで1日が過ぎたりするので、別の意味で困った話ですが☆ もっとも無いものを強請(ねだ)るよりも、本屋巡りの言い訳を作って(特に用事も無いのに)上京するとゆうのもいいかも知れません。残念乍ら名古屋と大阪(など)については神保町ほどの立地を私が知らないので、これも困った話ですが。

文房具にしても・・・本屋と同じで、文房具屋がどうしても見付けられません・・・そもそも無いのかも知れませんが(小さい乍らも新宮にはある)。せいぜい本屋と同居した文具店とかホームセンターの片隅とか?そんな文具売り場ばかりでこれも本屋と同様に残念ですね。1冊のノートを購入しようと思うときに・・・選べないとゆうのが辛いです。選択肢が少なくて・・・まぁコ●ヨでいいか?と言った具合に。コ●ヨのノートは使い易くて愛用していることが多いのですが、それ以外はページが外れ易いとかノートを開いたときの糊付け具合が気に入らないとかデザインとか罫とか・・・。それはまたペンにしても同じで実際に手にとってキャップの具合とか、ノック式ならその使い勝手とか、書き易さとか、その時の握り具合とか・・・そんなことを確かめてから購入したいと思うもののホームセンターでは個別包装されていますから、それらを確かめることも出来ません。或いはその筆記具について質問しようと思いましてもそれがわかる人がいないとか・・・手紙にしても事務作業にしてもまだまだ手書きが多い身としては、筆記具にまず使い易さを求めてしまうので・・・こうゆう売り方は困るんだよな〜。ついでに比較的大きな文房具屋さんになると便箋や封筒の種類も多く「わ〜これカワイイ」と自分が中年おじさんであることを忘れてしまうような行動に出たりして(危ない!)、そんな楽しみも本当の文房具屋にはあるのですが。しかし大きな文房具屋が欲しいと思ってても・・・実はそれは東京も同じで、文房具屋についてはあんまり知りません。それでも中規模の文房具屋さんを幾つか知っているので、そんなところに行ったりします。こんなことを書いてしまうと本にしても文具にしても「スゴイ物」を持っているのでは?などと疑われそうですが、安物ばっかりですよ☆ 使い易い文具でも高価であれば手が届きませんし、読みたい本でも読み返したくなるような本で無ければ・・・安い古本でも無い限り購入しませんよ。ただ何事も手にとって感触を確かめてから・・・そんなことを大事にしたいのです。

いつか書斎が欲しいと高校生の頃に思って・・・まだ実現していません。書斎が欲しいのは本を読む愉しさを倍増させてくれるような気がします。窓から線路が見えて、1坪あるかないかの狭い離れで、こんな雨の夜は雨音だけが聞こえる中で、無心にペンを走らせたり、或いはちょっとゆったりした椅子に腰掛けて気に入った本を愉しむ夜だったり・・・

UI

昨日、久し振りの開墾作業を11時間余り愉しみました。そのあと事務作業を夜勤として・・・ただ夕飯を先に食べてしまうと寝てしまいそうで空腹と闘い乍ら午前7時まで作業を続けていました。あ〜よく働くな〜?こんなによく働いたら今月の時給換算の計算も恐ろしくなりそうです。3時間ほど仮眠して近所をぐるぐる回る仕事など、その他ジュースの発送など・・・そんな一日でした。

22-0367
▲ 家の前のミカン台にも鳥さんが来てくれるようになった。それを知ってか?ぷーにゃんの待機場所も変わった。

(主に都会から)田舎へ移住してくる人たちに対して「I(アイ)ターン者」と呼び、元々の地元(か、それに近い人)に戻ってくる人のことを「Uターン者」と呼んだりします。ところで「UターンはターンをしているけどIはターンをしていないのでは?」と聞かれたことがありますが、今まで田舎から都会に人が出てゆくしかなかった(今でもそうですが)状況の中で、特に誰が?とゆうことではなくて「人が田舎に帰ってくる」とゆう意味もあって「ターン」とゆう言葉が使われるのでしょうか。逆に従来通りの田舎から都会に出る人のことを「Iターン者」とは言いませんし、都会から田舎に移り住み・・・しかし断念して再び都会へ帰ってゆく人のことを「Uターン者」とも言いません(聞いたことがありません)。UにしてもIにしてもその個人が帰ってくるとゆう意味ではなくて「人間の田舎回帰」とゆう・・・そんな意味なのではないでしょうか。ただUターンもIターンも(他にも言い方はありますが)一緒くたにされてしまい、それは特に(私が実感している中では)「Uターン者」はIターンと同じだと思っていますが、「Iターン者」はUターン者とは全く違うと私は思います。Iターン者の私から見て、つい同じ目線で見られてしまうのですが・・・例えばどこに行ったら何が買えてその店が何時まで営業しているのか?なんて誰かに聞くか自分で調べない限りわかりませんが、Uターン者は・・・既に知っています(多少と違うところがあったとしても)。それだけでも大きな違いですし、例えば親しくさせてもらっている方々は大勢いますが血縁関係者は皆無ですし、電話帳で調べた限りでは私と同じ姓は紀伊半島に存在していません。逆に言えばIターン者は巨大な家族の中に見ず知らずの赤の他人が入ることであり、Uターン者は元に戻るだけのことですから・・・10年も経てば地元の人になってしまいます。対してIターン者は10年経っても余所者のまま・・・それはほぼ永遠に余所者のままで、場所によっては3世代住み続けてやっと余所者では無くなる・・・そんな感じです。

22-0368
▲ 数年前ここにこれが建った。建てるために檜林を切って・・・それは何の役にも立たないから山に捨てると言ってた。捨てるなら欲しいとそれを引き取り製材してみたら柚ノ木谷線の枕木として生き返り、そして今でも活躍している。

「ホーム」に戻ったUターン者と「アウェー」でしかないIターン者を一緒くたにされるのは・・・Iターン者の私としてはあんまり嬉しくありません。だからと言って別に争いたいわけではないのですが、少なくともUターン者は(方言も含めて)気が付いたら地元の人になっていることが多いのですが、Iターン者は・・・そんなことはなく吹けばいつでも飛んでゆきそうな感じです。「ある人」が・・・今日は「ある人」とゆう表現が複数出てきますが同一人物とは限りません・・・「ある人」が「この辺りはガチガチの血縁関係だな」と言ってました・・・選挙の話で、自分のような者が入り込む余地は無いとでも言いたかったのでしょうが、もしも私が出馬したならどこに行ったって支持基盤のある場所なんて存在しませんし「入り込む余地」を言えば移住するその時点でさえ無かったのを無理矢理もぐりこんだようなものです。多いか少ないかは別にして支持基盤のあるだけで羨ましいもので、Iターン者の私から見れば「ある種の余裕」にさえ見えます。「ここは特定の誰かの支持基盤が強いからここで積極的に支持を集めない(集めようとしない)」と・・・逆にどこに行っても支持基盤の無い私だったらそんな余裕を吐いてはいられません。靴底を減らし汗を流し手を伸ばそうとしているなら応援はしたくなりますが、(例えば)ソファーにどっかりと腰をおろして「あ〜大変だ」とゆう人がもしもいたら・・・なんだかね。改革を掲げる本人が保守的な世界にどっぷりと浸かっていては本当の改革なんて・・・どこまで出来るんだろうか?何度も同じ事を書きますが私はマニフェストだとか選挙前の作り笑顔で投票はしません。その人の人間性を大事にしたいと思っていますし、その候補者の本当の人間としての素顔を見て決めることが多いです(ただ余りにも自分と考え方が異なるような公約であれば投票しませんし、顔だけで決めているわけでもありません)。

22-0369
▲ またこの謎の物体を見掛ける季節になった。

例えば植樹をしようとする時に、最初から1本1本を広く間を空けて植えますと成長が遅くなります。対して密集させて植えてみますと、時に種によってはびっくりするような早さで成長してゆきます・・・樹木がどうしてそうするのか?早く他の木よりも大きくならなければ日陰になって成長が遅くなるかも知れないし、或いは小さいままだったら間伐されてしまう恐れもありますから。生きるために生き延びるために・・・それは弱肉強食の世界で、弱ければ潰されてしまいますからそうならないためにも少しでも他の木よりも努力をします。もちろん他の木だって努力をしていますから・・・そんなこともあって密集して植樹をすると木の成長がとても早くなります。対して、広く間隔を空けた木は別に努力をしなくても切られる心配はありませんし、他から比べられることもありません。ただそうゆう木は枯れてしまうことが多い・・・特に新しい道路の沿道にヒョロヒョロの木を植樹してみるとヒョロヒョロしたまんま・・・多少は成長するものの、やがて枯れてしまったり・・・残ったはいいものの相変わらずヒョロヒョロのまんま・・・そんな沿道の樹木を見掛けたりします。栄養を充分に与えて、水はけのいいまっ平らな土地に植樹をしますと・・・当たり前のようによく育ちます。しかしロクに栄養を与えなくても・・・例えば急な斜面に植樹をしてみますと(種にもよりますが)これまたよく育ちます。恐ろしく広範囲に根を張って斜面から滑り落ちないようにと太い幹を作り、そんな悪条件であっても他の平らな土地の木に負ければ間伐される心配がありますから、成長も急がなければならない・・・それが杉や檜の「真直ぐな材」を求める人間から見て、そんな無闇に根元ばっかり太くて曲がった材なんて必要とされていないのに、むしろ生温い環境で育った木よりも太く立派に成長してゆきます・・・ただ必ずしも人間が必要としている形状にはならないのですが。人間ならば都会が嫌で田舎に住むことが出来ますし、逆もあります。しかし植物にしても獣にしても生まれた場所の与えられた環境の中で、それを受け入れて生きてゆくしかありません。それで不要だと言われたらそれまでですし、でもそんなことは最初からわかっていたとしてもそれでも生まれてきた以上は死を与えられるまでは懸命に生きようとします・・・収穫されたものの、そのまま捨てられるミカンであったとしても。

22-0370
▲ 個人宅の敷地内だが、見事なまでの大松。偏屈に曲がっていようとも松であるなら・・・美しくもなれる。

例えば都会に出ていた若者が田舎に仕事が見付かって「家族を連れて」帰ってこようとしますと・・・私の知る限り、大歓迎されます。対して都会から田舎に移り住もうとしますと、例えば私が実際に言われたことを挙げれば・・・
「お前こんな田舎に来て何するつもり?」
「来て欲しくない」
「誰も相手にしてくれないよ?」
・・・などなど。
この時点で自分に与えられた場所は今にも滑り落ちそうな急斜面でしかありません。気を抜けばいつでも転げ落ちそうなそんな急斜面です。対してUターン者は当たり前のようにまっ平らな場所を優遇され簡単に根を張り枝を大きく伸ばしてゆきます。急斜面にいる私なんかに手を差し伸べてくれる人もいますが、それでもそれだけに甘えてばかりはいられませんし、他力本願よりも自力で根を張ってゆかなければ大雨でも降ったら・・・ごくごく簡単に谷底へ転げ落ちてゆきます。でも転げ落ちたくはないからグニャグニャと偏屈に曲がり、形とゆう結果よりもその急斜面で生きるとゆう過程を優先して・・・それは結果だけを言えば、何の役にも立たない誰からも必要とされていない曲がりくねった材木にしかならなかったとしても、その急斜面で生きることを・・・少なくとも樹木ではなく人間である私が選んだ場所であるなら結果がどうであれ形がどうであれ根を張ってゆきたいと・・・思います。なぜそうまでして急な斜面を好むのだろうか?逆に私の場合、東京とゆうまっ平らなフィールドで根を張ろうとしていたら・・・まっ平らでごく簡単に苦労せず根を張れたかも知れませんが、間伐されていたかも知れませんし、他の木に負けて枯れていたかも知れません。生まれた場所と環境以外の場所を選択することが出来ない植物か獣に生まれていたら・・・私とゆうモノの存在は既にこの世に存在はしなかったでしょうし、人間として生を受けたとしても他のフィールドを選ぶ選択が出来なければ・・・同じだったかも知れません。21歳の時に我慢の限界を超えて東京を離れて北海道へ移住したわけですが、もしもあの時に東京を離れることが出来なかったら・・・今、私はこの世に存在していたかどうか自信がありません。ただ東京とゆう場所に対して大嫌いになる前に出ましたから、かろうじて故郷としての東京は今でも好きです。本当は弱く頼りないはずなんだけれど・・・だけど間伐されたり枯れたくないために、わざわざ環境の揃ったまっ平らな土地を選ばず・・・あえて誰も進んでは選ばない急斜面を私は選んできました、そうすることによって少なくともすぐには間伐の危機とも枯れる心配もしなくて済むような気がしました。ただ永住するつもりで移住した北海道は・・・ものの見事に転げ落ちました。それで自分は枯れるかな?とも思いましたが、運良く熊野の急斜面でまた種として落ちました。根を張り枝を伸ばそうとはしているものの曲がりくねって上に伸びてるのか横に伸びているのか・・・まだわかりません。どこに伸びようとも根を張らなければいつでも転げ落ちてゆきます・・・転げ落ちた記憶があるから、今はただ転げ落ちたくは無いとゆう思いだけで根を張ろうとしています。しかしそれを私は大変だとは思っていませんし「頑張っている」と言われるのは嬉しくありません・・・更にそれを自分で苦労しているだとは思いたくはありませんし、言いたくはありません。根付くために懸命に根を伸ばしている・・・本当に大変なのは上に伸びたときに他の樹木と比べられていつ間伐されるか?間伐ではなくて単に邪魔だと切られるか?こんな曲がった木を育てたって何の役にも立たないと切られるか?或いは自分自身が枯れてゆくか?この先に来るそんなことを心配する時に比べたら何も大変なことはないし今、何を苦労していることもありません。


22-0371
▲ 使われる頻度が少なかったからこそ現代まで生き延びたのだろう。引き続き長い活躍を願うばかり。

ある程度は成長したのだから、それを持って東京へUターンしたら、少なくとも他の樹木よりも少しは大きく・・・故に間伐されることも無く枯れることも無く、他の樹木に紛れて・・・それは一見他の樹木と大して変わりの無いような姿でその他大勢の中の1本として樹木の寿命をまっとう出来るかも知れません、急斜面で育ったことさえも忘れて。でも忘れてしまったら・・・あとは惰性で生きていっても充分でしょう。ただ・・・だらだらと月日を過ごしてゆくように思います。もしもそうなってしまったら「Uターン者」ではなくなって、私の場合ならただの東京の地元の人になってしまうような気がします。あくまでも「Uターン者」であることを忘れないでいるためには・・・地元から離れて別の場所の急斜面で必死に根を張ろうとしていたあの時のことを思い出し忘れないようにしなければ・・・いつでも埋没してしまう可能性はあります。うっかりそれを忘れてしまった「Uターン者」といつも急斜面に立たされている「Iターン者」とを同じ物差しで見られるのは「Iターン者」としての私としては個人的に嬉しくありません。そのうえIターン・Uターン、それから地元の人との境界線を作られ区別されるのも嬉しくありません・・・もしも「Iターン」「Uターン」を同じ物差しで見ようとするのなら何もかもの区別が無いことが嬉しい・・・と言ったところで余所者の戯言にしかならないのですが。ただそうであったとしても私はいつも急斜面にいることをいつまでも忘れないように生きてゆきたいと思います。急斜面に生えてる曲がった木など誰も必要としていないし無駄であるだけかも知れません。しかし誰も見向きもせずにしているそんな樹木に好意を寄せてしまう、或いは傷だらけのミカンに好意を抱き、或いは効率とはかけ離れた前世代のトロッコなど・・・それらを何とかして価値を見出して、誰でも喜ばれるものに変えられないだろうか?と思った時に「それが出来るのは君が金を持ってるからであって、ケチ人間と正反対にいる。ケチ人間はモノを持たないから余計なことに金は使わないし首も突っ込まない」と言われたことがありました。別にケチじゃなくていいよ、ただ捨てられている・捨てられそうになっているものに・・・大げさに言えば命を吹き込んで、邪魔者・歓迎されない・いてもいなくても同じ・・・確かにそうかも知れないがちょっと目線を変えたら、それらは活きてくれるだろうし喜ばれるものになるような・・・確信は無いけれど、少なくとも私だけはそう信じたいと思っています。「ここはさ、ミカンの産地だからミカンを送られても困るんだ」と誰かに言われたことがあります。同じように「地元で商売しようとは思わない」とも言われたことがありました。じゃあポン●ュースは愛媛で売られていないのか?三重や和歌山や静岡では売られていないのか?それぞれのミカンの産地ででもポン●ュースは売られているし・・・売られているとゆうことは売れているとゆうことではないだろうか?ミカンの産地のうち愛媛県はダントツで県内でのミカンの消費が多いらしい。三重県のデータは知りませんが、和歌山県内のミカンの消費は産地の中では最低らしい。「ミカンなんてもらっても嬉しくない」「どうせミカンだろ」いいものがいっぱいあるのに、肝心の地元は冷ややかに見ています。これらのミカンを関東以北に送ると本当に喜ばれます・・・同じミカンなのに。新しい何かを作らなくても今ある「(ミカンに限らず)それ」を活かせば必ず好かれ気に入られると信じていますし、出来ることなら・・・行った行為はケチと対極にある無駄と言われてもいいから気に入られ喜ばれるものを目指したい・・・と思っているのは自分だけだったとしても。

22-0372
▲ も・もしかしてあなたが「幸せの青い鳥さん」ですか?と聞くと・・・

と思っていたら、ある人からこんなメールを戴きました・・・多忙を言い訳に返信をしていなくて申し訳なく、ブログに掲載する許可も得ていませんがどうかご容赦ください。

規格外ミカンが喜ぶからジュースにするのは、廃線になったトロッコが喜ぶから走らせて遊ぶのと、全く同じだと思える。通常なら、経済価値が無くなっているが、モノとしては「使える」ものの値打ちを捨てたくないから悪あがきしている。普通で行ったら、無駄な行為です。でもね、自分でも良く判ってやっているから言うのだが、これは「ケチ」根性だ。金銭にあくどいのでは無く、モノが惜しくてならない。無駄にしたくない。いとおしい、と言う言葉があって、変換すると「愛おしい」になる。古語にこじつければ「いと惜し」い、で、まさしくケチである。小生の考えでは、正しいケチはモノを愛おしむ心根であろう。ミカンでもトロッコでも、赤字盲腸線でも荒れた棚田でも、おんなじだ。【一部を抜粋】

このメールを読んで・・・ああ良かった、私が言葉であえて説明しなくても(時々くどくど説明しているが)世の中には同じ考えの人がいてくれているんだ☆ と。それはメールを送ってくれた「ある人」と同じで、勿体無くて勿体無くて・・・価値の無いものを活かしたいし、それらを失ってゆくことに・・・無駄な抵抗かも知れませんが抵抗したいのです。愛惜しい(いとおしい)・・・愛するものを失くしてゆくことに「惜しい」とゆう気持ちがあって、せっかくあるものに価値を付けて活用されないものに活路を見出して、放棄されたものに光を戻したい・・・果たしてそれらを実行できる能力が私に備わっているかどうかはわかりませんが、考えているだけでは何も前に進みません。だからダメで元々・・・そんなことは最初からわかっていますがそれぞれの可能性は追い求めたいとじたばたしています。もしも見た目だけで誰からも嫌われるなら・・・それが味が無いと言われるトロッコの車輌であれ、人であれ、物であれ・・・それならせめて私だけであったとしても、私はそれらを「いとおしく」思い大事にしたいと思います。無駄だと罵られ、価値が無いと放棄され、見た目だけを見られて中身は問われない・・・それらを私は誰からも好かれ喜ばれるようにしたい、果たしてそんな能力が私に備わっているかどうかは・・・知りませんが。

22-0373
▲ 「さ〜?」とインチキ臭そうに首を傾げた(あれ?)。

こんな思いはもしかしたら急斜面にいる自分に当てはめているのかも知れません。何も私の行為を全て正当化しそれ訴えるつもりはありませんし、見た目も悪ければ中身もいい加減な私かも知れません。しかしそれは少数であってもわかってくれる人は必ずいてくれているものだと信じていたいし、そうゆうモノに私は目を向けていたい。或いはそれとも今でも急斜面に根を張ろうとしている自分だから見えることなのでしょうか。まっ平らな土地で真っすぐに育つ樹木を見て「あぁ羨ましい」と思う時もありますし、対して自分の置かれた環境を比べてトホホと思う時もあればクヨクヨすることもあるしメソメソする時もありますが、それでも私は急斜面にいることをいつまでも喜び、その場所を大事にしてゆきたいと思っています。わからない人には・・・残念乍らわかってもらえないから説得はしません。ただわかってくれる人は必ずいると信じています。もしかしたら私が贅沢をしてその贅沢を誰かに押し付けようとしているのかも知れないと思った「みかんジュース」が実は「ケチの神髄」と言われて安心したと言いますか有難くて嬉しかったのです。その嬉しさを言葉で表現しようと思いましたら・・・またこんなに長くなってしまったわけです。熊野はいいところだぞ?いつも私はそう言っている。なんでそんなことを言えるか?それは時々ここ熊野を離れるから・・・離れればまた熊野の良さを身に滲みて感じます。もちろん熊野以外が悪い場所ではなくていいところばかりだからこそ、更に熊野の良さを改めて強く感じます。「こんな田舎で何やったって無理だよ」「こんな田舎のどこがいいの?」そうゆう人は実はここ以外のどこへ行っても同じ事を言うでしょうし、本当はここ以外のどこも何も知らないのでしょう。そんな人を見たりするとつくづく思う・・・私はIターン者で熊野に住んで良かった☆

と、書き終えた頃に電話がなりました。先日の坑道の件について丁寧な回答を戴きました、ありがとうございます☆ どうなったのか?どうなってゆくかは・・・また改めてこのブログにて。

当分の間、予告無しに更新が滞る場合がありますがどうかご容赦ください。



焼肉

コタツで寝て・・・気が付くと朝になっている今日この頃です。ブログが更新されないのはそうゆう理由です。で、今日はなんで更新することになったかとゆうと・・・現在、午前1時☆ さすがに「早朝」とは言えないので簡単に更新して・・・もう一度寝ます。尚、明けて日曜日(既になってますが)は「夜勤」がありますので更新はしません。次回の更新は8日(月)の予定ですが、これも流動的(?)と思ってください。また既に「くまかんのみかんジュース」にご予約・ご注文戴いた方にはは8日(月)発送予定ですが個別にお知らせいたします。

22-0362
▲ 今朝(6日)は雪だったので久し振りに堀川ちゃんに出動をしてもらった。【22・02・06以下同】

22-0363
▲ 気持ちは「雪中行軍」だったが・・・現実は積もることもなかった。

22-0364
▲ 当然の如く「大雪のため当駅で運転打ち切り」とゆうことにはならなかった。吹雪の雲駅にて。

22-0365
▲ 続いてウメの剪定。仕事中に焼肉が食べたくなって頭の中が「やきにくやきにくやきにく・・・」と完全に集中力を失い、いつもより早く終わり肉を購入し帰宅した。

22-0366
▲ 私の今夜(6日)の夕飯・・・焼肉付き☆ 挽肉だけど(あれ?)。お茶碗のご飯は4合・・・百姓仕事は腹が減るのだ。ところで百姓はなぜ米を作るのだろうか?それは百姓が一番よくご飯を食べるからだ!と思います☆ 味噌汁代わりに今夜はエビスのブラック・・・個人的に冬になると黒ビールが美味しい☆

そんなわけで・・・お休みなさい。またお会いしましょう☆
プロフィール

☆くまかん☆

Author:☆くまかん☆
☆耕作放棄農地の再生と維持☆
☆農と食と鉄道☆
☆農業支援鉄道☆
【熊野簡易軌道・くまかん】
◎民宿『熊飛舎(ゆたかや)』【休業中】
◎けいてつ協会・熊野支局

◎ご訪問ありがとうございます◎
◇平成21・1・14開始◇


★「みかんジュース」★
平成22年2月8日販売開始です。

【熊野簡易軌道(くまかん)】
☆柚ノ木谷線(軌間610mm)
・平谷中野〜雲 0.11km(開通)
・雲〜柚ノ木谷 0.04km(工事中)
☆仮称・阪本鷲巣線(軌間381mm)
・阪本地内 0.02km(準備中)
・阪本地内 0.48km(構想中)
☆仮称・柚ノ木谷新線(軌間381mm)
・桜台〜奥柚ノ木谷0.10km(予定)
☆仮称・平谷峯線(軌間381mm)
・平谷地内 2.70km(構想中)

☆☆柚ノ木谷線のお知らせ☆☆
熊野簡易軌道・柚ノ木谷線での試乗は終了致しました。たくさんの方々に試乗戴きましたことを感謝しています。
現在は冬季運休と全通に向けての工事のためお受けすることが出来ませんが、事前にご連絡戴ければ「見学」はお受けします。平成22年の運転については決定次第お伝えします。

☆お問い合わせなどは・・・
下記メールフォームから、または
kumakan@zb.ztv.ne.jp
(@を半角に直してください)
【熊野簡易軌道・くまかん】まで

◇本業は農業です(?)
・田圃 約2反
・畑 約8反
・果樹 約6反
・開墾予定 約4反
合わせて約2町歩

◎日々の平凡な日常のできごと
◎ときどき軌道・鉄道の話
◎その他モロモロしょうもない話

◎概ね当日19時以降21時ころまでに更新予定ですが不在や多忙で更新しない日もあります。また仕事の状況やブログの内容によって多少前後する場合があります。

●面白い話を・・・とか、楽しい話を・・・という欲がありませんのでしょうもない話が殆どでおまけに無駄に長いです。
●カテゴリで分けようと努力していますが、なかなか分けられずに困ってますのであんまり「カテゴリ」をアテにしないでください。
●「コメント」及び「拍手コメント」について・・・エッチでいかがわしいコメントが入りますので承認制です。このため反映に時間がかかり、特にそれらのコメントに対して返信しない場合もありますのでご了承ください。またブログの内容と関係の無い話題で「コメント」及び「拍手コメント」を送られた場合は投稿者の同意なく削除する場合があります。ここは掲示板ではなく私の個人的な日記ですのでご理解下さい。また個別の連絡については下記メールフォームより送信してください。

△軌道沿線開花情報(平成22年版)
▲梅→開花
▲菜の花→ぜんぜん
▲桜(柚ノ木谷)→まだまだ
▲桜(桜台)→まだまだ
▲白樺→幹と枝だけ
▲梅(阪本)→開花
▲みかんの花→ぜんぜん

★★【予告】産直★★
☆くまかん・うどん(未定)
☆くまかん・そば(未定)
☆下津ミカン(販売中)
☆くまかん・ビール(未定)
☆くまかん・ジュース(販売中)
☆その他
=この欄・2月10日更新=

ご連絡・お問い合わせは・・・
☆わかりやすい件名でお願いします☆

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
01 | 2010/02 | 03
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 - - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
検索フォーム
RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
リンク